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東京日本橋風景

東京日本橋風景

作者名芳虎

時期明治3年4月(4,1870)

  • 日本橋を行き交う、町人馬車、一人乗馬車、二人乗馬車、一匹馬車、異人馬車、自転車、片羽自転車、人力車が描かれている。特に手前の自転車には人々が魂消(たまげ)ているところがうかがえる。
  • 右の方、馬に乗ったこれらカミナリ族を取締る御役人、橋の手前大きなマグロをかつぐ2人、刀を差す角力取りと御供(この年12月庶人佩刀禁止)とファン。左の方御布令を出す高札場〈こうさつば〉には幕府以来ほとんど毎日「定」と書いた布令その他が掲示されてきた。その前には3人の壮士(腕力で脅迫談判する者)。高札場の右にある小屋は、罪人を大衆の面前にさらし、恥をかかせる、晒場ではなかろうか、その横にある樽は防火用水かも知れず、こうして絵をジーっと眺めていると、100年前の絵が動いている。生きている。涙さえ出てくる。
  • 明治3年3月、和泉要助(福岡県生れ・22歳で上京)は人車を発明、人力車渡世の官許を得て人力車業を営む。人力車の立場(たてば=発車休息所)には人力車の料金表と「御免人力車処」の幟〈のぼり〉が見え、珍しがって用もないのに乗る試しの客が値切っているようだ。異人馬車の後には、ただ乗り客がしがみついているのが面白い。